今週のお題「最近おいしかったもの」
前日譚
「あぁ浜松餃子食べたいなぁ」という願望が一昨日にフッと降ってきた9日金曜日の夕方、ある知らせが届いた。
”1月29日~31日の卒業研究はお休みとします。”
ふーん、よっしゃー!じゃあどっか旅行行くか!!!
私は歓喜した。平日は毎日研究に勤しんでいる身からすれば、突然舞い降りてきた平日休みほど嬉しいものはない。
じゃあどこ行こかなー
フェリーで愛媛もいいけど、今度神戸へ行くし、お金は抑えたいなー
浜松近いし、餃子食べに行くかー日帰りで。
こうして浜松への日帰り旅行が決まった。
ちょうどこの頃、TwitterのTLでスズキ歴史館が話題に上がっていた。
「へぇ~こんな施設もあるんだ。なら、ついでにスズキの博物館も寄るか。そういえば御厨にヤマハのコミュニケーションプラザがあったな。そこも行くか!」ということで、浜松餃子を食べに行きつつ、スズキ歴史館とヤマハコミュニケーションプラザにも立ち寄ることにした。
なぜ、浜松餃子を食べたいなんて思っちゃったのか。これはある種の未練である。
遡ること約一ヶ月前、私は同級生と一緒にとあるドラッグストアのインターンシップに参加するため、浜松へ赴いていた。せっかく浜松に来たのだし、鰻でも食べてこうと駅前の鰻屋に向かった。その時、近くの別の飲食店に発生していた行列を目にした。佇まいからして中華料理店だろう。そういえば浜松は餃子も有名だったな………
今思えば、浜松餃子はこの時の未練である。今回はそんな忘れ物を回収しにいく旅。
ーーー目次ーーー
いざ遠州へ
1月30日火曜日。普段より1時間早く家を出た。近鉄電車に揺られて名古屋へ向かった。いつも大学に行く時間でも行けないことはないが、そうすると浜松で餃子を食べて尚且つお土産を買う時間が1時間しか確保出来ない。のんびりと昼食を取るために1時間早く家を出た。
近鉄名古屋に着いた。群衆を構成する人々のひとつとなり、ホームへと降り立った。駅の構造からか、まだそこはかとなく関西の空気を感じる。時刻は9時過ぎ。通勤ラッシュは過ぎたといえど、まだまだ平日の慌ただしい時間帯だ。
連絡改札ではなく、地下改札口から出場した。学割で切符を購入するためだ。連絡改札に有人窓口は無い。中央コンコースへ向かい、窓口で御厨までの切符を購入する。ICOCAで支払えなかったのは想定外だった。購入時に駅員さんから「新幹線はご利用ですか?」と問われたが、「在来線で」と答えた。お金はないが、学生なので時間はある。今回も在来線の旅だ。
ーーー今回の旅程ーーー
- 近鉄電車で名古屋へ
- JR東海道本線に乗り換え、静岡の御厨で下車
ヤマハコミュニケーションプラザ見学 - 再度、JR東海道本線に乗り、浜松で途中下車、昼食にて浜松餃子
- 電車にて高塚駅まで移動し、スズキ歴史館見学
- JR東海道本線で名古屋へ。ホームで夕食をとり近鉄電車に乗り換え
- 帰宅
入場し、東海道線上りホームへと向かう。途中、名駅名所のひとつであるホーム階段の蓄光タイルを発見する。どうやら中央線ホーム階段にしかないようだ。
上りホームへとたどり着くとちょうど豊橋ゆきの快速が入線しようとしているところだった。15分後には豊橋ゆきの新快速がやってくる。近鉄沿線民の私からすると、新快速が上位種別なのは判っても、どちらに乗る方が早くたどり着くか判らない。ヤフーの乗り換え案内をみた。乗換案内はあとに来る新快速がサジェストされている。入線してきた快速を見送り、新快速に乗車することとした。
お腹が空いた……… きしめん食べるか。
きしめんを食べた。10分少々あれば、ペロリと平らげることは余裕だ。
その後、ホームに戻り、貨物列車の通過を見送ったあと、豊橋ゆきの新快速がやってきた。乗客は、ほぼすべて入れ替わった。乗車し豊橋へ向かう。
新快速と特別快速の違いって確か大府停車するか否かやったっけ?とか、街がほぼ途切れることなく続いているなぁ~や、かなり新快速飛ばしてるなぁ~と思いながら揺られること約1時間、電車は豊橋に着いた。乗換が案内される。乗り継ぐ浜松ゆきの普通列車は3分後の発車らしい。時間がタイトだ。あんまき買えるかな。
下車すると隣のホームに先発した快速が停車していた。どうやら先行したまま豊橋に着いたようだ。後悔した。先行する快速に乗っておけば良かったと。跨線橋を上り、あんまきの売店を見る。購入に手間取っている人がいるように見えた。購入は断念し、トイレを済まして電車に乗車した。あん巻きは帰りのお楽しみにしておこう。
再び電車に揺られ、東へ進む。途中、富士山が見えた。今日は空気が澄んでいるのだなと思ったが、よく考えれと去年清水へいった時、富士山は冠雪していなかったので気付かなかっただけなのかもしれない。
車窓に浜名湖が見えてくる。「あぁここの道、自転車で走ったなぁ」などと想いはせていると左手にJRの浜松工場やアクトタワーが見え、電車は浜松に到着した。ここで再度乗換を行なう。車内放送では、10分後同一ホームから発車する興津ゆきの普通列車が案内されている。
浜松トランジット
ホームに降りると様子がおかしい。向こう側のホームに興津ゆきの普通列車が既に停車しているからだ。
「先発?それとも長時間停車の後発???」
混乱した。
すかさずヤフーの乗り換え案内を見る。車内放送の乗り換え案内と同じであった。ホームで待つ。すると向かいのホームに停車していた列車が出発する。しまった。乗ればよかった。どうやら、乗り換え案内はかなりゆとりを持って案内されているようだ。
電車を乗り過ごして数分後、案内された興津ゆきの電車がやってきた。シートはクロスシートからロングシートに変わった。人々の営みが垣間見えてよい。そして約20分後、御厨駅に到着した。
切符に無効印を施してもらい、コミュニケーションプラザへと向かう。駅前広場はジュビロ磐田と静岡ブルーレヴズ一色だった。ホームスタジアムの最寄り駅らしい。高台の住宅地を想像していたが、駅前は更地が広がる工業団地のど真ん中であった。
ヤマハコミュニケーションプラザ
駅から歩くこと10分少々、目の前に”YAMAHA”と書かれて看板が見えてきた。
ヤマハ発動機の本社だ。コミュニケーションプラザはその一角にある。*1
入るとジャパンモビリティショーで発表された車両達が展示されているのが目に入った。その奥には、LFAとトヨタ2000GT、幻のヤマハ製スーパーカーが展示されている。
スタンプカードがあったので、入館記念のスタンプを捺印した。
館内を見渡すとmoto GPのマシンが目に入った。
ヤマハのmoto GP ライダーと言えば、未だにロッシとロレンソの印象が強い。今は二人とも現役からは退いており、*2時の流れを感じる。
右端のマシンは、昨年の日本GPにワイルドカードで出場したクラッチロウのマシンではないか。昨年の8耐での展示以来のご対面だ。
館内を見渡すと1階は主に現行製品およびヤマハの事業紹介が主なようだ。
他メーカーと共同して開発した水素エンジンが展示されていたり、
FRPプール事業の紹介、産業用ロボットの紹介・展示がなされていたりした。
保育園の頃に使用していたプールも写真で紹介されており、「あのプールって実はヤマハ製だったのか!!!」という驚きもあった。
説明文を読むと、”ウチの技術でも作れそうだから作った”みたいなノリで書かれていて、とてもヤマハらしい。ヤマハのコピペ*3は本当なんだな。
1階中央部には、レクサスLFA、トヨタ2000GTと並んで幻のスーパーカーOX99-11が展示されていた。ここを訪れた目的の一つだ。バブルが弾けた余波でお蔵入りになった計画は多々あるが、この車が実際に発売されていたらどうなっていたのだろうと小学生の時に考えたことがある。
エンジンや運転席が御開帳された状態であるので隅々まで凝縮する。V12エンジンが運転席の真後ろにマウントされている。ほんとF1にカウルを被せたような車だな。
オフロードバイクの展示もあった。またがって写真を撮れる様になっているみたいだが、あいにく今日は一人だ。他の人に頼んで写真を撮ってもらおうかも考えたが、平日で周りに人もいない。そう諦めかけていたとき、撮影スタンドを見つけた。
ヤマハさんお一人様に優しい。スタンドにスマホを固定し、セルフタイマーで撮影した。
一通り1階の展示物は見たので、2階に上がる。二階はヤマハ発動機の歴史を辿るコーナーのようだ。
企業の沿革が順を追って説明されている。
そこを抜けると、ヤマハにおける歴史的車両、製品が展示されていた。
ロッシのmoto GP ラストイヤーの車両が展示してあったり、エディーローソンのGPマシンもあったり、果てはパリダカールラリー優勝車両であるスーパーテネレまで展示されたいた。
奥まで進むと往年のヤマハ販売店をもした一角があった。その隣ではレストア事業の紹介がなされている。もちろんF1マシンとエンジンも展示されていた。
エンジンは97年のアロウズに供給されていた軽量V8エンジン、車両は92年のジョーダン192だ。
F1マシンが展示されている向かいに初のアシスト自転車初代PASも展示されていた。
再び1階に戻り、展示されているカートに乗車するなどした。気づけばもう13時前である。思いの外長時間滞在してしまった。
コミュニケーションプラザを後にし、御厨駅に戻る。
道中にあったNTNの事業所の看板に描かれているイラスト、ワーゲンのタイプ1とタイプ2そのものだ。かわいい。
御厨駅前は変わらず更地が広がっている。だが、開発の足音はもうすぐそこまで来ていて、既にマンションの建設が始まっている。次に来る頃には駅前の光景は、かなり変わっているであろう。
浜松餃子
電車に乗車する。時刻表を見ると浜松駅に到着するのは13時40分過ぎのようだ。
おかしい。1時間ではカツカツだろうと考えて、1時間早く家を出たのに結局1時間しかないのである。危うく実現不可能な旅程になるところであった。
浜松駅で途中下車。改札で駅員さんに「途中下車お願いします。」というと「改札に通してください。」とのこと。自動改札からも途中下車できることを初めて知った。
改札を出て、隣接する遠鉄百貨店へと向かう。旅のメインである浜松餃子を食べるためだ。訪れたのは二度目なので迷わずスムーズに移動できた。浜松餃子のお店は8階にある。本来行きたかった店とは違うが、改装工事で休業中だったので致し方ない。8階に上がると催事スペースでアムール・デュ・ショコラが開催されていた。もうそんな季節かと思いつつ、名古屋高島屋以外でも開かれていることに驚きを感じた。
入って円盤焼きの個数を聞く。20個とのこと。食べれそうだ。それを注文した。店員さんから『えっ、餃子だけ???』みたいな雰囲気を感じたが、餃子のみを注文した。
自分の分を作ってもらっている間に他のお客さんの円盤焼きが出来上がって配膳されていく。思っていたよりも小さい。食べきれるか心配だったので、ほっと一安心した。
しばらくすると自分が注文した分がやってきた。
浜松餃子といえばこのビジュアルである。時間も押しているので早速頂く。おいしい。野菜がたっぷりと入っている。肉肉しさが無い代わり、非常にあっさりとした味だ。そのため食べ続けていてもくどくない。大きさもも一口サイズで食べやすい。8分ほどでペロリと平らげた。
会計を済まし、店を出て、新館地下1階にある銘品街へ向かう。お土産を調達するためだ。エレベーターホールは8階というだけあってとても眺めがよい。
銘品街にある春華堂でお土産にうなぎパイを買った。定番土産である。今回は普通のうなぎパイではなく、ブランデーが入っているうなぎパイvsopを買おうとした。が、20個入りで4000円超えだ。その価格にひるんでしまい、うなぎパイvsopも入っている詰め合わせを購入した。
駅に戻り、ホームに上がる。ちょうど電車の発車時刻だったので、それに乗り、スズキ歴史館の最寄りである高塚駅へと向かった。
スズキ歴史館
電車は4分ほどで高塚駅に着いた。改札を出てスズキ歴史館へと向かう。駅前は御厨駅と異なり、住宅街が広がっている。住宅街の中を闊歩しながら向かう。街の雰囲気が感じられて好きだ。
しばらくするとスズキ本社が見えてきた。キザシやランディといったレア車に遭遇して興奮を隠すことができない。恐らく一生分のキザシとランディを見たと思う。
もちろん、スズキ本社前名物”ランディ専用駐車場”もお目にかかることができた。貼り紙がされており、専用駐車場の表記ではなくなっていたが。気分は既に最高潮に達している。その先にある地下道をくぐり抜けるとスズキ歴史館に到着した。
入って入館手続きをする。予約時に発行されたQRコードを受付機にかざすだけだ。9月から1月の平日は最終入館の15時からしか入館することができない。
受付時にクリアファイルを頂いた。小学生ウケが良さそうである。見学時の注意事項に関するビデオを見てから見学に入る。
特に順路の指定はされてないようなので、ロッカーに荷物を預け、3階から見学することにした。
3階に上がると創業時の社屋を模したものと自動織機が現れた。
そういえばスズキの祖業は織機だったな。
3階は創業から現在に至るまでのスズキの沿革について紹介されている。
ボタンを押すと音声ガイドを聴くことができるようになっていて、それを聴きながら館内を回る形である。
織機に関する知識は全くないに等しいため、スズキ創成期の音声ガイドは、知識の幅を拡げてくれるとてもよいものであった。織機などに掛けられている糸の色は、白、赤、青でスズキらしさを感じる。
織機の仕組みや柄物を生産するのに必要なパンチカードなども展示されていて、知識欲が満たされる非常に面白いゾーンだ。
戦後直後の復興期にはORIONブランドでハーモニカも製造していたようだ。初めて知った。
織機ゾーンを抜けると自動車・二輪車事業の歴史に触れていくゾーンになる。
補助エンジンの展示があり、正真正銘の原動機付自転車をまじまじと眺めた。何よりフロントブレーキの構造が現代の自転車とは大きく異なるからだ。オタクはこういった展示物が大好物である。
初期の二輪車が展示されている向かいにはスズライトやキャリイといった初期の軽自動車群が展示されている。今の安全基準では考えられない程、車の作りが華奢だ。音声ガイドを聴きつつ、展示物をまじまじとみていると時間が過ぎるのが早い。まだ三階の三分の一程しか見ていないのに、既に30分近くが経過している。
館内を進むと続いてスーターリング・モスのサインが記されたフロンテが展示されていた。あの、スターリング・モスかスズキ車に乗って長距離走破チャレンジをしていたことは驚きだ。
そのほかにも水素エンジン車が展示されていたり、走る茶筒ことロータリーエンジン搭載の二輪車RE5が展示されていたりするなど、スズキの特徴的な車両が数多く展示されていた。まだ半分も回っていないのに、既に内容が濃い。
さらに進むと”アルト47万円”のキャッチフレーズで有名な初代アルトと当時の物価についての展示がなされていたり、”オレ・タチ、カルタス。”の初代カルタスも展示されていたりした。
その奥にはケビン・シュワンツがWGPて駆ったペプシカラーのRG500Γがシュワンツのサイン入りで展示されていた。シュワンツの紹介文が記されている程だったから、シュワンツはスズキにとって特別なライダーであったのだろうな。
長嶋茂雄と星野仙一のサインが入っているモコが展示されていたのはちょっと意外だ。
もうすでに50分近く3階で過ごしている。時間が過ぎるのが早い。閉館時刻の16時30分までに回りきれるだろうか。
2階は現在のクルマづくりと遠州浜松についての展示がされている。
スプラッシュのクレイモデルが展示されていたり、ジムニーシエラのハーフカットモデルが展示されていたり、キザシのコンセプトモデルが展示されていたりするなどオタクがニチャニチャする展示ばかりだ。
そのほかにも産業用ロボットの実演展示や樹脂形成・金属加工についての展示、ラインのモックアップの展示があった。樹脂形成の展示では音声ガイドの説明を受けた後に初代アルトのキーホルダーがおみやげとしていただけた。本当はもっとじっくりと細部をなめ回すように見学をしたかったが、閉館時刻が迫りつつあり、そうはいかなかった。
奥に進むと遠州浜松にゆかりのある実業家達の紹介や遠州地域の航空写真、調整中で体験することが出来なかったが航空自衛隊のフライトシミュレータも展示されていた。
1階には8耐優勝マシンやWGP・MotoGP、WRC参戦車両などが展示されていた。いくつかのマシンはよく鈴鹿サーキットへ出張しているので何度か拝見したマシンもあるが、MotoGPのタイトルを取ったGSX-RRなど初めて目にするマシンも多かった。
現行ジムニーのラダーフレームも展示されていたのは、個人的にとてもよかった。
最後、パンフレットに入館記念スタンプを押してスズキ歴史館を後にした。閉館時刻ギリギリである。とにかく展示の内容が濃くて一日中滞在できる自信がある。2階の展示を細かく見ることができなかったのでまた訪れたい。
名駅で立ち呑み!
高塚駅から岐阜行きの普通電車に乗って名古屋へ向かう。時刻は17時前で、部活帰りであろう高校生達が電車内に多い。在来線の旅は、こういった人々の営みを感じられるから好きだ。
電車は豊橋に着いた。ここで大垣ゆきの快速に乗り換える。岡崎までは乗っていた普通電車が先着するので岡崎で乗り換えてもよいのであるが、朝食べ損ねたあん巻きが食べたいので、ここで乗り換えることとした。
あん巻きはチョコあんまきを買った。本当は天ぷらあん巻きなるゲテモノを食べたかったのだが、既に売り切れていて買うことが出来なかった。
入線してきた快速に乗車し、あん巻きを頂く。チョコレートとあんこの組み合わせ、思いの外おいしい。
電車に揺られて1時間、名古屋の着いた。車掌の英語アナウンスが”Nagoya Station"ではなく、”Nagoya Terminal”だったことが印象的だった。
ホームのきしめん屋で夕食を取る。今回は一年越しの念願であるホームで立ち飲みだ。昨年、友人を訪ねて静岡の清水まで行った帰りにホームのきしめん屋に立ち寄った時、天つま*4を片手に幸せそうに日本酒で晩酌をしているおじさんを見てから、次に立ち寄る機会があればここで一杯したいなと思っていたのだ。
きしめん屋に入ると既に串カツを片手に日本酒と生ビールで晩酌しているサラリーマンがいる。券売機でワンコインきしめんと天つま、日本酒を購入し、店員さんへ食券を渡した。注文してから天ぷらを揚げてくれているので、きしめん単品よりも時間を要しているが、揚がってしまえばそこからはすぐだ。揚げたてで熱々のかき揚げに天つゆが掛けられる。ジュー………と天つゆが染み渡る音がする。食欲がそそられる。
きしめんと天つまが出来上がった。日本酒を片手に早速頂く。おいしい。名駅ホームで立ち呑みも悪くないな。食べている最中、酎ハイだけを頼む人が居た。さながらここはステーションバーだ。
食事を平らげ、時計を見ると時刻は19時前。これから乗る近鉄電車は、いつも大学の帰りに乗っているのと同じ電車だった。
近鉄電車に揺られ、家路についた。(おわり)