薬学生のサイクルブログ

とある薬学生がのんびり気ままに書くブログ

コラム 頑張らないサイクリング

サイクルブログを標榜しているにも関わらず、自転車関連の記事を書かないこと早2年半余り。全く自転車に乗らなくなったという訳でもなく、記事にはしていないだけで、静岡へ輪行旅へ出かけたり、週末に乗ったりするなど、それなりに乗ってはいる。

だが、ブログを始めた頃と比べると乗る頻度と距離はかなり減った。100km越えのサイクリングも久しく行っていない。乗るのが少し億劫になった。それを解消するために頑張らないサイクリングをするようになった。

物事は様々な要因が絡み合って生じるもので、僕が自転車に乗るのが億劫になり、頑張らないサイクリングをするようになったのも様々な要因が絡み合っている。

痔瘻の再発と人間関係の絡れ。

頑張らないサイクリングをするようになった大きな要因である。

以前、痔瘻を患って手術をした際に「予備群がありますねぇ」と言われていたものが痔瘻になったもので、手術後、傷跡が治癒するまで自転車を乗ることに対するドクターストップが10ヶ月程かかった。時を同じくして、人間関係の縺れから精神的に追い詰められ、気が滅入っていた。人間不信に陥った。電車に身投げしそうにもなった。食欲が失せ、大学に近づくと吐き気も催し、一時は休学も真剣に考えた。

ドクターストップが解ける直前のあるとき、後輩から言われたことがある。「先輩のSNSを見ていると充実した休日を送っていていいですよね」と。それは濾過された水だ。講義資料と本が床に散乱し、部屋の隅には溜まった塵。そして敷きっぱなしの万年床。湧き上がる負の感情に押し潰され不貞寝する休日。掃除をする気力すら沸かない。このような状況で辛うじて投稿できたものが”充実した休日”を演出しているだけで、現実は酷い有り様である。

ドクターストップが解けてからもこの状況はあまり変わらなかった。憂鬱な時は、いつもなら簡単に越えられるハードルも簡単には越せなくなる。サイクリングに出かけるとき、儀式と呼ばれる程に準備すべきことが多い。気が滅入っている時、このハードルはうんと高くなり、越すのが難しくなる。そして間隔が開いたことから体力に対する自身がなくなり、さらに乗るのが億劫になる。乗らない悪循環に陥り、サイクリングへの熱がかなり冷めてしまった。

その代わり、歩く距離が飛躍的に増えた。痔瘻の術後の回復を早めるために歩くことを推奨されていたのもあるが、気を紛らわせることができることから歩行距離が飛躍的に増えた。どうやら自分には徒歩適正があるようだ。時間さえ許せばどこまでも歩き続けられる。実際、連日のように6km程歩き、時には12~17km歩いていた。山もよく登るようになった。また、気軽にできるのも大きかった。昼間に歩く時はさすがに身なりを整えるが、そうでない時は靴を履くだけで気軽にできるのだ。圧倒的に越えるべきハードルが低い。

そこで考え方を変えてみた。ハードルを越えるのではなく、取っ払ってしまえばいいのである。サイクルジャージも無理に着なくていい。面倒だったら普通なジャージでいいのだ。ログもスマホで取れる。だから小物類はライトだけでもいい。ボトルの準備が面倒なら自販機でその都度調達すればいい。速度も距離も気にしない。ただただ愉しく走ることを心掛ける。

いざ走り出すと愉しい。風を切る爽快感がたまらない。上り勾配の苦しみで生を感じ、ぼろぼろのママチャリで駆けていた中学生の頃を思い出す。渇いた喉に染み渡る清涼飲料がとてもおいしい。乗る愉しさを再認識した。あぁサイクリングのこういうところが好きなのだと。(おわり)