国家試験に合格し、晴れて薬剤師になれることとなった。記憶が新鮮なうちに受験記を書き留めておこうと思う。
筆者のプロフィール
- 男性
- 地方私立薬学部卒
- 国試本番は238点
本番は平均より少し上ぐらいの大したことない人間なので、話半分程度に読んでいただけると幸いかな。
プロローグ
4年の時、CBTは余裕綽々だった。合格をするための勉強ではなく、どちらかと言えばさらなる高みを目指して勉強をしていた。
勉学とは全く関係ないところで精神的に辛い時期だった。大学に行くのが辛くて休学しようかなと考えたこともあった。よく逃避行に走り、勉学はかなり疎かになっていたが、それでも余裕綽々でCBTをパスできたのは今までの積み重ねがあったからだろう。
6年もそんな風に気楽に過ごせたらええなと思い「遊んで楽しく6年生!」を目標として5年のうちから対策を始めることにした。
5年次
5年のうちから始めたといっても実習中から対策をしていた訳ではなく、実習が終わった8月の後半からだった。実習中は何も勉強せず、課された課題と日報を仕上げてはダラダラと過ごし、週末になれば国内外問わずレース配信に入り浸る。その片手間に気象予報士の勉強もする。そんな生活を送っていた。片手間にやっていたものだから、気象予報士の試験はもちろん落ちた。
通っていた大学は「先行逃げ切り型」を標榜し、実習のない期間を中心に5年次から国試対策を行なうところだった。気象予報士の勉強を通じ、自らを律して勉強に励むのはなかなか難しいことを痛感していたので長いものに巻かれることにした。
行なわれていた国試対策は、領域別問題集の一科目に二週間に一度試験を行なうというもの。さらに、実習期が切り替わる直前にそれまで行なわれていた科目のまとめ試験が行なわれていた。このまとめ試験で酷い点を取ると補講を入れられるが、それ以外は成績評価に関与する訳でもなかったので、自己の特性理解の場として割り切った。モータースポーツでいうところのテスト走行のような感じで。
参考書として薬ゼミの領域別問題集が指定されていたが、私は大学が契約しているe-ラーニングシステム(ESS)の一問一答をずっと解いていた。そして試験の直前になるとその分野の過去問をまたESSで解いた。参考書を開けずに一問一答ばかり解いていたのは、ものぐさで参考書を開けるのが億劫だったのもあるが、過去問の選択肢のみを暗記してしまうのを避けるためでもあった。成績評価に関わる試験ではないのだから、多少悪い点数を取ったとしてもその方が長い目で見れば自分のためになると考えていた。周りを見渡せば、選択肢を暗記して手軽に点数を稼ぎにいく人達も散見されたが、私はひたすら一問一答を解き続けた。
勉強は毎日ひたむきに行なっていた訳ではなく、研究の合間に一日2~4時間程度。それも家で勉強するのはある種の残業と捉え、大学や通学の電車内でしかしなかったし、週末は6年次に上がってからの余力を残すために全くしていなかった。無論、その週末は国内外のレース配信に入り浸っていた。
5年次から国家試験対策を行なっている所は珍しく、他大学の人に話すと驚かれることが多かった。
月日は流れ、109回薬剤師国家試験が終わった。まだ名目上は5年生ではあるが、弊学部は薬剤師国家試験を中心に1年が回っている。6年次の国家試験対策が始まっていくこととなった。
6年次
6年次の国家試験対策、最初のガイダンスで「あなた方には、先行逃げ切り型で逃げ切っていただきます。」と言われた。ことあるごとに言われる。とはいえ「国試受かれば何点取っても一緒」と考えていたから、手っ取り早く合格安全圏に達してのんびり過ごそうと思っていた。「このまま追いつかれずに逃げ切ってやる」という野心も心の内にはらみながら。
5年次対策の総決算であるまとめ試験から中2日、大学独自で行なわれる理論問題の過去問から60題を出題する試験が行なわれ、そこから10日後、メディセレのzero模試が、その合間には、予備校の講義がみっちりと。初手からなかなかタイトである。今まで騒がしかった講義室がまるで嘘のように静まり、集中して講義を聴く様は少し異質だった。
大学独自の試験は6割以上勝ち抜けのシステムだったので手堅く6割で合格し、zero模試は118/190点でBランク。少し悔しい思いもしたが、順調な滑り出しであったと思う。そしてzero模試の解説講義が終わると大学独自の国試対策が始まってゆく。
~全16ラウンドの単位認定試験~
弊校の国試対策の特色として、卒試ではないのだが、必須単位であるが故に限りなく卒試に近い試験がある。面白いのが全範囲の一発勝負ではなく、青本の約半分が範囲の試験がほぼ毎週のように行なわれるところだ。そしてその合間には講義が不規則に入る。成績評価は5年次とは異なり行なわれるので、この単位認定試験は頑張った。疎かにすると大学院での奨学金の審査に響く場合があったので。
この頃はESSで講義範囲分の一問一答を予習がてら解き、講義中はその範囲の青問をひたすら解いたり、青本の一問一答を解いたりしていた。4,5年と禄に講義を受けていなかったのもあって講義の受け方を忘れてしまった。
5年次の国試対策で自分の得意不得意は把握できていたので、得意な衛生や法規はESSのみで乗り切ったり、苦手な薬理などは青問を2周するしたりするなど、科目によって勉強の量や方法は柔軟に変えていた。
3ラウンド程こなし、薬学会開催に伴う1週間程の春休みを挟んで次は薬ゼミのスタートアップ模試を受験した。156/215と遊んで体調を崩していた割には上出来である。
そして残りの13ラウンドと卒業研究発表をこなして無事に前期は終了。夏を迎え、後期に移っていく。
気の緩みと上がらぬ点数
前期の試験と卒業研究発表を終え、これから盆休みを迎えようとしたとき、ガイダンスで国家試験対策担当の先生から夏が勝負の分かれ目みたいなことを言われた。”夏”を任意の季節や時期に置き換えて年中言っているような気もする。そんな先生のトーンも春あたりから急かすような雰囲気ではなくなり、気持ち悪さを感じた。
1週間あまりの盆休み、先生には1日10時間が目標とか言われていたが、今振り返るとせいぜい1日5~6時間しかしていなかった。とはいえ、実習の同期と呑みに行ったり、長距離路線バスを乗りに行ったりしていたから、毎日勉強していた訳ではない。この辺りからずっと薬理の青問を周回していたように思う。大学が薬ゼミに依頼して夏休みの課題を作成してくれたらしく、それを解いてる内に盆休みは終わった。
盆休みが明けると大学でステップアップ模試を受験することになった。始めてのフルサイズ模試、237点と結果は上々である。過去問が多めで点数を取りやすかったのもあるけど。
そしてここから毎月のように模試を受験することになる。そして講義は大学の先生から薬ゼミの対策講義へと切り替わった。
約一ヶ月後、薬ゼミの統一Ⅰを受けた。結果は215点。自己採点してて少し萎えた。しかし端からみているとヘラヘラしていたらしく、「あんた院進するから薬剤師の資格いらんのやし、院居る間に取ればええって考えなんやろ」なんて言葉を投げられることもあった。心外である。いやこっちも資格ないと進学できんし(進学先が薬剤師資格必須)、生活費稼ぐハードルが変わるから、取れないは取れないで死活問題なのだが。
この一ヶ月間、泊まりがけの研修が連続した上に模試後の週末に院試が控えていたのでとにかく忙しかった。だから勉強はほぼ平日しかできていなかったし、院試の対策にも時間を割いていたので国家試験に向けた勉強量はかなり減っていたと思う。大学の講義中に今日の範囲分の一問一答と青本を解いて、講義後はその残りと薬理をやっていた。
約三週間のインターバルを開けてメディセレの統一模試を受験した。弊校、なかなか手厚いので薬ゼミだけではなく、メディセレの模試も受験させるているのだ。結果は233点。会社が違うので単純比較はできないが、点数がクッと伸びて嬉しかった。
勉強量がちょっと減っているにも関わらずクッと伸びたものだから、気が緩んでしまった。青問を自分の不手際で濡らしてしまったのも相まってモチベがグッと下がってしまった。講義中は話を聞かずにずっと一問一答を回して、それに飽きたら青空文庫で面白そうな小説を探して読む。そして週一のサークルに参加して遊ぶ。そんな生活をしていた。
気がつけば11月になっていた。季節は秋。学祭の季節である。学祭の二週間後に統一Ⅱが控えていたが、それはそれとして最後の学祭だったので講義がない日程はフルで参加して楽しんだ。そして迎えた統一Ⅱ、結果は217点。統一Ⅰから2点しか上がらなかった。前の模試から約一ヶ月間勉強が疎かになっていたのに加えて、直前の週末にマカオGPを見ていた割に点数が下がらなかっただけマシである。
この模試で何より酷かったのは薬理。なんと理論問題が4点なのである。酷すぎて笑ってた記憶がある。その一方で薬剤が絶好調だったのもあって、科目別のゾーニングでA~Eすべてを網羅していた。芸術点が高い。後にこの状態は解消されてしまったのが惜しまれるのだが。
薬理に比重を置いて勉強を続けていたのに薬理が全く伸びなかったから、学年の首席にアドバイスを仰いだ。そこで”青本”の方を本格的に見ていくことになる。これが11月の末。
そこから約二週間薬理と病態をずっとやり続けメディセレ二回目の統一模試を迎えた。結果は207点。周りは上がってる人の方が多いから悔しい上に、また今回も薬理の理論問題で4点を取ってしまった。もうこのまま点数が上がらないのでは?という不安感に苛まれ、少し鬱々しくなった。あまりにも気分が落ち込んだものだから、模試が終わった次の日は軽く部屋の掃除をして一日中絵を描いていた。
そこで気持ちを切り替え、また勉強をしていく。この辺りから、対策講義で取り上げられない限り、薬理と病態以外は一切しなくなったと思う。時々息抜きがてら実務の青本を眺めることもあったけど。
国試直前期~年末から前日まで~
年末年始は適度に息抜きをしつつ過ごしていた。休みが明ける2日位前から薬ゼミが作ってくれた冬休みの宿題を解いて卒試を迎えた。薬ゼミの統一Ⅱとメディセレ二回目の統一模試の点数で卒業は確定していたから気張らずに模試の感覚で受けていた。
そこから約一週間後薬ゼミの統一Ⅲを迎える。卒試が終わってからの一週間は青本を読んで冬休みの宿題をまた解いての繰り返しをしていた。そして統一Ⅲの結果は218点。統一Ⅱから1点しか上がらなかった。点数的に大丈夫と言われていても約二ヶ月で1点しか上がらず、全国の受験生に抜かされるのは辛く、国試本番まであと1点程しか伸びないのでは?と思ってしまった。
クヨクヨしてる暇もないのでざっと復習を終わらせて、薬ゼミの対策講義を迎える。この頃になると対策講義は直前対策講座に切り替わった。ヤマ的な要素も多かったのでこの直前対策講座はちゃんと聞いていた。そして対策講座が終わるとまた薬理・病態の勉強。電車の中ではESSで一問一答。これを繰り返していた。
気がつけば国試1週間前になっていた。もうこの頃になると直前対策講座も終わり、手持ち無沙汰になって、「早く国試を受けたい」「私を国試に連れてって!」そんな気持ちになっていた。そして自動二輪の免許取得のため、教習所へ通い始めた。
落ちたらどうしようとも思うこともあったけど、その時はホ○ダかト○タで半年期間工やってお金貯めて秋から予備校でも行くかと考えていた。
そして国試前日、前泊のため試験地に乗り込む。前泊地までの移動中、いろんな人から励ましの言葉をもらって人の暖かみをすごく感じた。
早めにチェックインをしてホテル近辺を1時間ほど散策。街歩きって楽しい。そしてホテル近辺の飲み屋で呑みたい欲求を抑えつつ、夕食を取ってからやまかけ講座をみた。やまかけ講座はメディセレ。薬ゼミは直前対策講座でヤマを聴けているはずだから大丈夫だろうという考えである。
21時半過ぎに就寝し、そして国試当日を迎える。
国試当日
ホテルのバイキングでナンカレーをたらふく食べてから試験に向かう。その日は寒波が押し寄せていてチラチラと雪が舞っていた。なんか不思議もので試験当日なのに模試をあたかも受験するような気分だった。同級生から「なんでそんないつも通り居れるん?」と言われたから、端から見てもそうだったらしい。あの難しかった理論1も「まぁ一問ぐらい落としても影響ないでなぁ」と模試を受けるような感覚で解いていた。
二日目、実践問題。この日もホテルのバイキングでナンカレーをたらふく食べてから試験に向かった。この日は試験終わりに病院実習の同期達と呑みに行く予定があったので試験中それが楽しみで仕方なかった。とはいえ、最後の最後、得意の法令が絶不調で「嫌だ。落ちたくない。」と不安に苛まれることもあった。
そして試験が終わった。終わった解放感はあったけど、いつもの模試終りと変わらなかった。
その後、病院実習の同期達と呑んで、カラオケで自己採してオールして32時間くらいぶっ通しで起きていた気がするが、それはまた別のお話。
自己採点の結果は薬ゼミので234点。その後謎のトラブルに見舞われ、薬ゼミのシステムにログインできなくなった。先生へ報告するためにメディセレでもう一度自己採点をすると236点。そして届いた合格証書のはがきには476点。1問2点なので1問1点に換算すると238点。
受かったからもうどうでもいいが、最後の最後でなかなか自己採点がガバガバである。
最後に
やまかけ講座は御守り程度にしかならない気がした。それよりも試験中に思い出して助けられたのは普段の講義(Not薬ゼミ)の数々。サンキュー○○と思いながら解いていた問題もいくつかあった。大学での講義って大事なんやなと思った。
振り返れば、夏の模試の結果と本番の結果がほぼ変わらなかった。逃げ切って上位の成績で終えようと思っていたのに蓋を開ければ平均点のちょっと上。大学が望む「先行逃げ切り型」を体現してしまったな。(おわり)