薬学生のサイクルブログ

とある薬学生がのんびり気ままに書くブログ

気付けば薬学部6年~平凡な学生の進路選択~

今週のお題「上半期ふりかえり」

近頃って言っても、ここ数年になるが、周期的にMBTI診断がSNS上で話題になる。

一応僕も診断してみたのだが、人の性格を16種類にカテゴライズされてたまるか、とは思う。十人十色って四字熟語もあるのに。とはいえ、診断で出てくる傾向はあながち間違ってないように感じる。いわゆるバーナム効果ってやつか。

性格診断といえば、昔、グループ学習の班分けを性格診断を使って振り分けた授業があった。使った性格診断はMBTI診断ではなく、就活向けのものであったけど。診断結果は非公表で、知りたければ各々担当の教員に聞きに行く必要があった。自分も気になっていたから、もちろん聞きにいった。

聞きに行くと先生から、「君は、薬学部では珍しい性格をしているね。分布図でも一人だけ飛び出している。大半はサポート役だったり、調整役だったりするのだけど、珍しくリーダータイプだ。」と言われた。そりゃそうだ。元々薬学部志望ではなかったのだから。

そういえばリアルやTwitterでは何度も話したことがあるけど、ブログには書いたことがなかった。僕が薬学部にきた理由。今回はそれについて書こうと思う。

 

僕は元々工学部志望だった。物心が付く前からモータースポーツに触れていたから、そちらの方向に興味を持つのは、なんら不自然なことではない。もちろん機械工学に興味があったし、マテリアルにも興味があったから材料工学も考えた。地理好きと建築好きが高じて土木工学にも興味があった。興味があり過ぎて、専攻までは決めきれなかった。幼い頃からロボコンやソーラーカーレースに憧れていた。だから中学生の頃は高専への進学を考えていた。だが高校受験時、父親に5年で出て短大卒と同じにしかならんという偏屈な理由で止められた。3年次編入や専攻科への進学で大卒になる手段もあるのに。それを母親が父に提案しても希有であることから一蹴された。

大学受験時、進学先の選択肢は県内の国立大学しかなかった。いや、両親が県外へ出ることを認めなかった。幸いにも地元の国立大学は僕からみれば魅力的に写る大学だったので、第一志望にする分には全く問題なかった。だが滑り止めの選択肢に工学部がなかった。県内に理工系の私立大がないのだ。高専への4年次編入という手もあるが、知ったときにはもう遅かった。

無理解な父は自らが卒業した大学を執拗に推してくる。母は医用工学や薬学を薦めてきた。

父は僕が地理が得意分野であることから自らの出身大学を推しているようだったが、残念ながらそこでは自分が学びたい地理学は学べない。このことを言っても父は執拗に薦めてきた。子のことを想っての事だろうが、自らが考えたプラン通りに息子の人生を歩ませることが必ずしも最適でないことが判らないらしい。高校受験時も父の考えで私立専願にさせられ、行きたい高校へ進学できなかった。エゴの押し付けだ。

母は母で一度外に出ると地元に戻らないという考えで県外へ出ることを許さなかった。自分は戻ってくる気でいたし、地元に戻るならなおさら外へ出て見聞を拡げるべきなのに。

浪人は浪人で許されなかった。医用工学部だと興味のある分野がなかった。幸い薬学部だと化学系の分野も学べた。元々修士課程まで進む予定だったので6年制であることには抵抗感はなかった。こうして滑り止めの私立は薬学部になった。

学力を付けて第一志望に合格すれば何も問題なかったが、センター試験で転けた。元々学力的に厳しい戦いであったのだが、得意な化学が爆死してトドメを刺された。直前の模試で8割近くとれていたのに本番では35点しか取れなかった。二次試験での挽回も非常に厳しい点数だった。幸い平均点程の点数はあったので、志望校さえ変えれば国公立でも合格レベルの大学は見つかった。

だが、両親は県外への進学を許さなかった。センター後の三者面談で県外の国立大学を受験したいと言った。却下された。私立薬学部へ進学するよりも金が掛かるからと。どうかしている。別に家計的に厳しいからという訳ではない。むしろこうして私立薬学部に奨学金なしで通わせて貰っていることには感謝しているし、恵まれている事はわかっている。だが、年間200万掛かる私立薬学部よりも下宿費込みの県外国立大学への進学の方が高いという。計算ができないのか。初年度こそ県外国立大の方が高い可能性があるが、それ以降は安くトータルでみればトントンか国立の方が安いのに。父のことだから恐らく目先の事しか見ていない。

父はその時も自らの出身大学への進学を薦め、しまいには「薬剤師になるのが家のためだ。薬剤師になって養ってくれ。」などと言ってくる。息子を金のなる木とでも思っているのか。

担任の先生が地元国立大学の工業科教員養成課程への進学を提案してくれた。前期はそこを受験し、後期はダメ元で地元国立大の化学科を受験することになった。

もちろん、国立の受験結果は前期、後期共に落ちた。

こうして僕は薬学部に不本意ながら入学することになった。点数を取れなかったあんたが悪いと言われれば、そうである。入学直前になっても、父は地理が得意な僕にはこの大学が向いていると自らの出身大学を薦めてきた。どうかしている。

今振り返れば「県外の大学へ進学して見聞を拡げたい」と強く言えば良かったなと思う。内心思っていても工学部へ進学することに必死過ぎて言えていなかった。言ったところで県外進学への道が開かれたかといわれると微妙ではあるけど。

 

同じ県内といえど、生まれ育った都市圏と違う大学に通学することになった。それだけでも見聞は拡がり、地元の良さ・強みを十二分に知ることができた。大学にはさらに異なる都市圏から通学している子もいて、より見識が拡まった。だから外へ出ていくことは大事だと思う。地元にとどまり続けることは悪いことでは必ずしもないが、物事への見識は狭まってしまうように感じるから。

とはいえ、僕は内部院進を考えていて軽い自己矛盾を抱えている。拠点は移すつもりだが、都市圏は違えど同じ県内であることには変わりないからだ。だが、今の研究を突き詰めたくて院進を決めた節があるので、それはそれで致し方ないところもあり、僕は僕なりに納得している。

 

入学直後は編入試験を受けて工学部へ編入しようかと考えていた。けど講義が面白くて薬剤師になるのも悪くないなと思い始めた。名物教授による化学の講義で課されたレポートが楽しかった。なかなか答えとなる文献は見つからないし、考察するのにも大変苦労したけど、仮説を立て、文献を漁り、考察する過程が楽しかった。この教授、あまりにも厳しく理不尽で学生からは好かれていないし、この人が受け持つ必修科目である化学の講義がキツくて辞めた人も少なくない。けど僕がなんだかんだで薬学部に居続けているはこの先生の影響が大きい。多分この先生が居なくて、あの化学の講義やレポート課題がなかったら、僕はそのまま編入試験を受けて工学部へ編入していただろう。

気がつけば5年次の実務実習も終え、もう6年だ。あっという間だった。紆余曲折あった末、薬学部へ進学したことが結果的に博士課程進学を決めた一因になっている。人生、何があるか判らんものではある。しかしながら、未だに工学や地理学への未練がないといえば嘘になる。卒研のテーマも化学系であるし、仮に薬剤師として働くことになったらGISと絡めた研究したいなと考えているあたり未練タラタラだ。

こうして薬学部に通わせて貰っていることには感謝している。両親には頭が上がらない。けど、進学の幅を狭められたことは根に持っている。

 

昔から地方の底辺私大を潰して浮いたお金を東大や京大といった一流校へ廻せという意見が絶えない。地方には金銭面ではない理由で外の大学に進学できない人が少なからずいる。そんな人間が居る状況でそのようなことをされたら、ただでさえ狭い選択肢がより一層狭くなる。僕みたいに希望する学科に行けない人も増えるだろう。だから、地方にこそ大学のような高等教育機関が必要なのだと思う。住む地域で選択肢の幅が狭まるのはよくない。教育へのアクセスは平等に開かれているべきだ。

 

そういえばMBTI診断の結果を書いていなかった。僕のタイプはENTJ-A。(終わり)